C-Macksの自論展開

日々の物事に対し、情報を収集し自論を述べていくものです。賛同意見・反対意見は歓迎しますが、暴言・脅迫・罵詈雑言はお断りです。

京アニ放火殺人事件の青葉被告について考察してみる

21世紀に入って最悪と言われた京都アニメーション(以下、京アニという)放火殺人事件から4年、青葉被告の裁判が始まりましたが、被害者やその遺族の方への謝罪の言葉は発するものの、二言目には京アニが悪いとの発言を繰り返しています。なぜそこまで言い続けるのか、これまでの情報と被告の心情から、考察を行おうと思います。決して侮辱や炎上を目的としたものではありません。考察は続きから。

まずは生い立ちから見ていこう。公表された情報によると、被告の幼少期や学生の頃は親の離婚や片親からの虐待、学校でのいじめなどがあって、良い環境とは言えなかったようだ。特に親の虐待は心の成長への影響が大きく、親に自分の努力が認めてもらえず、フォローしてくれる大人も周りにいなかったことが、被告の心情に絶望感を抱かせ、うまくいかないのは周りが悪いと思いだした可能性が高い。この心情は人間関係の構築に大きく作用するため、社会人になってからも人間関係の構築に相当の苦労があったであろうと推測される。このあたりについては被告への同情の感のほうが強く、親の教育が悪いと言っても過言ではない。

私も人間不信に陥った経験があり、今でもその尾は引いている。幸い私の場合は、親をはじめ周りの様々な大人の方がフォローしていただいたおかげで、犯罪に走ることなく自己研鑽に励むことができ、職に就き苦手ながらも人間関係の構築を頑張っている。一方被告の場合は、周りの大人のフォローがあまりなかったのだろう。また相次ぐ家族の死も大きく影響した結果、抱いた絶望感をさらに増幅させ、他人を信じることが困難になったと読み取れる。その結果が、自己研鑽ではなくコンビニ強盗や今回の京アニ襲撃という犯罪に走らせたのだろう。「自分がうまくいかないのはまわりのせいだ!復讐してやる!」と…。

京アニの作品に感化され小説を書こうと一念発起した被告、この点は大きく評価できる。約10年、刑務所に入りながらも小説を書き続け、完成させた小説を渾身の作品と自画自賛したのだろう。それを京都アニメーション主催のコンクールに送り、「自分の作品はすごいだろ!アニメ化したいだろ、京アニさん!」と妄想を膨らませたのだろう。コンクールの結果はおそらく落選だったのだろう。これで小説家としては失意のどん底に落とされたと推察されるが、小説家を目指される方々にとって落選はデビューへの第一歩と考える方が大多数だと思われる。それを被告はたった一度の落選で落ち込み、その後の京アニの作品を見て「これは自分の書いた描写だ。盗まれた!」と被害妄想的な意識を持つようになったと推察される。私の情報網で被告の小説の内容の一部を知ったのだが、「独創性の薄い陳腐な描写だな。発想もありきたり」との感想を私は抱いた。これで盗まれたと感じるようでは、他の著者の方々に大変失礼にあたる。しかし、これまで考察してきた被告の心情に他者を慮る余裕や感情は既になく、「自分は被害者だ」という独りよがりの感情がすべてを支配していたのだろう。そして、客観的に不合理、非論理的な理由であの凄惨な放火事件へ。

以上青葉被告の心情について、自分なりに考察を行った。被告に対して同情する点も幾分か見受けられたが、「自分は悪くない。悪いのはいつも周りのせいだ。」という感情については、申し訳ないが同情の余地は全くない。独りよがりの被害妄想ほど、当事者も周囲の人も不幸になり、誰一人幸せになることはない、最悪の感情と言えよう。妄想はあくまでも妄想であり、決して実現することはない。妄想かどうか定まらなければ、一人で悩まず必ず誰かに相談をする。そしてその誰かの話を歪曲せず素直に聞く。精神的に病んでいると難しくなることだが、少しだけ、少しだけでも意識するだけで変われるものである。

被告の過去のように恵まれなかった過去がある人へ私は言いたい。その過去の出来事を変えることはできないが、これからの未来は自分の行動次第で良くも悪くもできる。未来を変える力は他者ではなく常に自分の中に存在している。これで私は救われ、今の私がある…。