C-Macksの自論展開

日々の物事に対し、情報を収集し自論を述べていくものです。賛同意見・反対意見は歓迎しますが、暴言・脅迫・罵詈雑言はお断りです。

大卒・院卒の社会的価値ってなんだろう(前編)

大学全入時代と言われてから約20年が経過しました。今や大卒も珍しくなくなり、「東京大学」「京都大学」「早稲田大学」「慶應義塾大学」などの大学のブランドで学歴をひけらかす時代となりました。一方で、博士学位を目指す学生の減少が顕著に表れたとその界隈で話題となった今、大卒やその上の大学院卒(以下「院卒」という)の社会的な価値について自論を述べていこうと思います。前編は大卒・院卒の個人的な解釈による自論になっています。

興味のない方は、黙ってブラウザの×を押してください。

まず、大学在学中の人、大学を卒業した人および進学予定者に聞いてみたい。「大学への進学にあたり、何か目的を持っているのか(いたのか)」と。「目的はない」「なんとなく学生がしたい」「まだ遊んでいたい」「出会いがあったら…」。これらのように少しでも思った方、何か勘違いをしてないか。大学は遊びで通うところじゃない!高度な学問を学びに通うところだ。そのために高い授業料(国立なら4年で約200万円)を払っているのである。そう、これが全入時代の弊害だ。誰もが入れるようなったからこそ、このような考え方が生まれるのだ。これという目的がないのなら、高卒で就職した方がよい。遊んで4年過ごした大卒者は高卒者と同じ価値、私が経営者ならそう判断する。

次に、キャリア形成について取り上げる。キャリア形成に必要な年数として、3年から5年かかると言われている。真面目に目的をもって大学に通っていればキャリアの土台が形成され、短期間でのキャリアアップが可能である。この点でいえば、専門学校は大変優秀である。学生がキャリアの土台をしっかり固めてから社会に出るため、いわゆる優秀な人材となりうる。一方、遊びで目的なく大学に通っていればキャリアは育たない。事実上大卒であっても、高卒者となんら変わらないのである。例えば、高卒でキャリア形成に5年かかる人であれば、23歳でキャリアは形成されるのに対し、大卒でキャリア形成に3年かかる人であっても、キャリア形成時には既に25歳になっている。脱年功序列となりつつある今日では、キャリアがある方が社会では有利である。「年下の上司」をどのように思いますか?特に働き盛りの男性の方…。

さて、ここまでは大卒に着目していたが、ここからは院卒に着目していく。前提として、大学院には「博士前期課程(修士課程)」と「博士後期課程(博士課程)」とあることを念頭に置いてもらいたい。修士課程は、専門分野におけるキャリア形成を行っていく時期である。2年間で濃密にキャリア形成を行うため、分野における優秀な人材として日本社会でも重宝されている(稀にそうでないのもいるが…)。修士卒については日本社会で重宝され、企業の採用活動も活発なので言うことはない。問題なのは博士卒である。博士課程は、専門分野におけるキャリアの成熟期でありほぼ完成する時期である。日本の企業において、専門のキャリアが形成されると「専門が異なる」「自社で取り扱うことが困難」などのミスマッチングがより顕著になる。そのため、博士卒は学術的な職場が選ばれがちだが、ここにも問題点がある。大学や研究所の正職員で採用されれば将来安泰であるが、その枠はほんの一握りである。その枠から漏れた者の多くは非正規の有期雇用の職員・研究員となる。今年3月、この非正規の有期雇用研究者の多くが契約更新をさせてもらえず、職を失って路頭に迷う事件が発生したのだ。ちなみに、この事件は労働契約法18条を悪く解釈した結果である。ただですら社会に出るのが遅れているのに、不安定な労働になりがちな「博士卒」に、日本での将来はない。「末は博士か大臣か」と言われた時代もあったが、今や死語である。

後編は、「無価値な大卒・浮かばれない博士卒が生まれる元凶」について自論を述べていく。