C-Macksの自論展開

日々の物事に対し、情報を収集し自論を述べていくものです。賛同意見・反対意見は歓迎しますが、暴言・脅迫・罵詈雑言はお断りです。

大卒・院卒の社会的価値ってなんだろう(後編)

こんにちは。

前編は大卒・院卒の価値について個人的な解釈を行っていました。コメントはないですが、読んでいただいた方に様々な思いを起こせたのではないかと思います。

本日は後編「無価値な大卒、浮かばれない博士卒が生まれる元凶」について自論を述べていきます。

どうでもいいと思われた方、黙ってブラウザの×を押してお帰りください。

前編は各卒業に対し自論を述べたが、そもそもの元凶はなにか。私は「大学の存在意義」が元凶だと考える。大学教育の内容はもちろん、教育分野で金儲けを企む輩が大学運営をしていることも問題である。私立といい、学生支援機構といい…。

まずは「無価値な大卒」から述べていく。前編で述べたように、大学は高度な学問を学ぶ場所である。それにもかかわらず、日本の大学は「入学までが非常に困難だけど、卒業は容易い」のである。大学に入ることが既にゴールであり、あとは余力で卒業できる仕組みだ。そのため遊んでいても「大卒」がもらえるのだ。こんな制度だから、親世代は子に「とりあえず大学に行け」と半強制的に行かせるのだ。子の意思より親のエゴが「無価値な大卒」を増やしているのだろう。

回想になるが、お世話になった教授を訪問することがあり、その際に期末試験の問題を見た。私は思わず「自分が受けたころより簡単になりましたね」と言ったところ、「これでも合格点に届かない学生がいるんだよ」と。続けて「あまり(学生を)落としすぎると、私(教授)が注意されてしまうからね」と。その言葉に唖然とした。勉強していない学生が悪いはずなのに、試験問題を作った教授が悪いと言わんばかりだ。

教授らが学生に忖度して単位を出すという風土そのものが「無価値な大卒」を生んでいる最大の元凶であろう。また大学運営者からしたら「卒業した学生の数だけが大事、質などどうでもいい」という感覚なんだろう。質より量では発展は望めない。マイナカードがいい例であろう。世界の大学ランキング(Times Higher Education)によると、日本1位の東京大学ですら世界では39位(前年35位)である。日本の大学の順位が上昇しないのも無理はない。

一方、欧米の大学は「入学は難しくないけど、卒業が非常に大変」という形態である。大学に入ることはあくまでスタートライン、しっかり勉強して単位が取れた者だけが卒業できる仕組みだ。さらに、優秀な学生には飛び級を認め、社会への貢献が早くできるような制度が確立されているのだ。また単位が取れてないと退学勧告を出されるらしい。そのため欧米の学生は、勉強しなければ生き残れない生存競争の中で過ごすため、必然と優秀な人材へと育っていくのだ。量より質であり、日本の大学とは大きく異なる。世界の大学ランキング(Times Higher Education)でも、オックスフォード大学(イギリス)やハーバード大学アメリカ)等の誰もが聞いたことがある超一流の大学がTOP10の常連である。

ここに肩を並べそうな大学が日本にもある。まだランキング外ではあるが、秋田県にある国際教養大学が期待される。この大学は、欧米の大学と同様「入学は難しくないけど、卒業が非常に大変」という形態である。卒業するには「1年間の海外留学」が必要で、かつ一定の単位を満たさないと海外留学を認めないというものだ。そこに教授らの忖度は一切ない。そのため、企業のリクルーターがわざわざ大学に出向いてまでしてもスカウトしたいといわせるくらい、非常に優秀な人材が育っていることがわかる。これぞ「大卒」の意義であろう。

次に「浮かばれない博士卒」を述べていく。「博士」とは、特定の分野における専門家、スペシャリストである。一方、日本の企業・社会は何でもこなせるジェネラリストを欲し、育成している。お気づきだろうが、そもそも日本の社会に「博士」はミスマッチなのである。それにもかかわらず、当時の文部省は国策的に「博士」を増やすことだけに専念し、社会の受け皿を全く考慮しなかった結果、就職難や専門分野が無駄になる「浮かばれない博士」が大量に発生したのである。有期雇用研究者の契約不更新の事件を見る限り、現代においても大きく解消されていないことが伺える。ちなみに、アメリカ社会はスペシャリストを積極的に採用し熟成させる傾向が強く、「博士(ドクター)」にとって良い環境と言えよう。もし優秀な人材がいて受け入れるポストがなかったとしても、わざわざポストを創設してまで採用する企業、大学があるから驚きである。

前後編に分けて大卒・院卒の社会的価値について自論を述べてきた。世間に「無価値な大卒」と「浮かばれない博士」が多く存在しているが、大きな活躍をしている大卒者、博士学位を持つ者も当然に存在している。これらの差は、個々人が持つ意欲の相違ともいえよう。ただ、私は大学の教育制度が最大の大罪だと断言する。欧米の大学のように「入学は難しくないけど、卒業が非常に大変」と日本もなれば、社会の発展は今よりもはるかに進行すると私は信じている。これらを阻む壁は…出る杭を打っている奴らだ。いわゆる三流の人が上にいることだ。