C-Macksの自論展開

日々の物事に対し、情報を収集し自論を述べていくものです。賛同意見・反対意見は歓迎しますが、暴言・脅迫・罵詈雑言はお断りです。

金の亡者と化した政治家を排除できないワケ

収支報告書に記載のない大きなカネの流れが公になってから3週間以上が過ぎ、政治のカネの問題で国会や自民党が大きく荒れ、東京地検特捜部の捜査・事情聴取が始まっています。政治とカネの問題は今に始まったことではありませんが、どうしてこうも政治家たちは自分たちの懐を肥やすことばかりを考え、自分らを選んだ国民に対しては負担ばかりを強いるのでしょうか。そして、こういう政治家ばかりを国民は選んでしまうのでしょうか。今回はこの点に焦点を当てて、自論を述べようと思います。

政治家の味方をしたい方は、どうぞお帰りください。

政治とカネ、これは現代における言い回しであり、人類史でみればこのようなことはずっと行われてきた。時の権力者が現れると統治を始め、泰平を維持する見返りに年貢やお金を納めさせた。権力者またはその一族による統治の当初は、持ちつ持たれつの関係が維持されて関係性は良好となるが、統治が長くなると権力者というものは横柄な態度を示し出す。「泰平を維持できているのは自分たちのおかげだろ!」と言わんばかりに要求を増やしたり、不都合な事実を握りつぶしたり、反発するものを罰したり(極刑も含む)、見返りを減らしたりなど、今でいう独裁者へと変貌するのである。政治とカネの問題はこの延長線上にあるものと考えられ、要望を叶えて欲しければお金を積みなさい、カネが問題になったら目を瞑りなさい、と言われているようなものである。

独裁政治の繰り返しを反省した結果が、「民主主義」の誕生に繋がったと考えられる。民主主義は市民や国民が代表者を選出し、代表者の合議体で政治を行うものである。時の権力者の意見だけで行われていた独裁政治に対し、一般の民衆が意見を言い、政治に参加をすることで、平等で開かれた政治運営が行われる。しかし、一団体の者だけが代表者に選ばれるような制度を作ってしまえば、それは独裁と何ら変わらないものとなる。世界を見ても、民主主義を謳っているが実際は一党独裁になっている国も少なくなく、現在のロシアやカンボジア、香港の選挙制度がいい例である。結局のところ、現在の民主主義は万能とは言えず、ヒトの欲望を抱き続け、行使し続ける限りは、真の民主主義は訪れないだろう。

日本における政治とカネ、すなわち裏金の問題は独裁政治の初期段階とも言えよう。ただ私腹を肥やす行為そのものが常態化している現状を鑑みると、既に独裁政治の基盤が出来上がり成熟期に移行していることが伺える。世界では与党が野党を排除するといった強引な手法が取られているが、日本の場合は野党が分裂しすぎてまとまらなくなっているために、与党である自民党が勝手に利しているのである。さらに野党同士での潰し合いが始まっていることも自民一強を促進している。そしてこれら野党の行為が、国会議員選挙にも影響を及ぼしている。選挙区から選出できる議員の数は限られているにもかかわらず、与党1人vs野党多数の構図ができてしまえば野党票が割れてしまい、結果的に与党の候補が当選するのである。もし与党1人vs野党1人ならば、結果がひっくり返っていた可能性のある選挙区はいくらでもあった。自民党の独裁化を許してしまっている原因が野党の行為にもあることを野党の政治家は自覚していただきたい。

政治とカネの問題は、日本の独裁政治の序章であり、関わっている金の亡者と化した政治家はその構成員である。情報統制や報道統制などが行われていたら、これらの問題は分からなかったであろう。戦後間もなくの政治家の人らは、私財を投げ打ってでも政治家になり国や地域の復興・発展に尽力し、国民も信頼をしていた。一方で、今の政治家は私腹を肥やしてばかりで、国や地域の発展は二の次三の次となっている。金の亡者と化した政治家に信頼を置けるわけはないが、こんな政治家しか選べない我々国民にも責任がある。特に投票に行こうといない若者よ、君らの責任がいちばん大きいのだ。自分の一票じゃ何も変わらない?死に票になるのが嫌だ?そんなチンケな理由で投票を放棄することが、無責任の極みである。たかが一票だけれども、塵も積もれば山となるというように票数が集まれば現状を変えることもできる。金の亡者と化した政治家を排除するには、若者たちの行動力が必要なのだ。自分たちの未来は自分たちで決める、そういう気概を上の世代に魅せつけて欲しいものだ。