C-Macksの自論展開

日々の物事に対し、情報を収集し自論を述べていくものです。賛同意見・反対意見は歓迎しますが、暴言・脅迫・罵詈雑言はお断りです。

デジタルという魔物

こんにちは。

実質本日から、Macksの自論を述べていこうと思います。

本日の自論は「デジタル」。

興味ないわーって思った方、黙ってブラウザの×を押してください。

最近何かと世間を騒がせているマイナカードの件をはじめ、Twitter(現:X)やインスタグラムなどのSNSの不適切案件など、デジタル技術による負の面の話題ばかり持ち上がっている。

そもそも「デジタル」って何者なんだろうか?

辞書的には「連続的な量を段階的に区切って数字で表すこと。計器の測定値やコンピューターの計算結果を数字で表示すること。⇔アナログ」(大辞泉より)と定義されている。つまるところ、数字の集合体ととらえることができる。これを応用したものが「デジタル技術」と言ってもいいだろう。

それでは本題。

私自身はデジタルにはかなり早い時期から触れており、特にネットの世界にはインターネットが普及し始めたころから触れている。

そのため、デジタルの良い面、悪い面は散々と見せつけられてきた。

まずは良い面。やはり便利であること、いろんな世界の人とつながること、記録が容易であることなど。

媒体一つあれば何とでもできるのがデジタルのメリット。アナログでは絶対マネができない。

一方で悪い面。記録の偽造も容易であること、一度広まったら取消が効かないこと、そしてセキュリティの面。

一度広まったら取消が効かない点については、デジタルタトゥーと呼ばれるくらい誰かがすでにデータと持っていること。良い面に挙げた「いろんな世界の人とつながること」が災いにもなりうる。例えば、SNSに写真1枚投稿したとすると、1秒後にはすでに誰かのフォルダに入ってるということを念頭に置かないといけない。先日の自民党議員のフランス旅行(研修?)の一件もこの例になる。闇バイトへの個人情報の提供や、わいせつ画像で脅すリベンジポルノも、その入り口あるいはすでにデジタルタトゥーになっているといっても過言ではないと思われる。そのくらい情報の拡散が早すぎるのも良し悪しなのかもしれない。

セキュリティの面については、はっきり言ってアナログのほうが超優秀。デジタルのセキュリティは笑えるくらいの脆弱さ。私も幾度とこのセキュリティについては苦しめられただろうか。

思いつくだけでも、ハッキング、DDoS攻撃スパイウェアランサムウェアといったものがパッと出てくる。読者(まだ少ないけど…)の中にも、こういう被害を受けた人がいるかもしれない。デジタルのセキュリティは、こういうので容易に脅かされまたは突破される、そしてセキュリティを強化していく。しかし破る側も進化しているため、結局のところいたちごっこになっている。もちろんいたちごっこではあるが、これでセキュリティの面が強化・進化しているのも事実であり、良き事である。

ただ難点として、セキュリティの突破が、どこからでも(where)、だれでも(who)、いつでも(when)、やる理由があって(why)、どんな方法でも(how)も行われるということ(英語の5W1Hみたいですな)。もちろんアナログ(書籍などの記録)でも同じようなことは起こるが、デジタルに比べたらかなり限定的である。

銀行強盗を例に考えてみる。アナログだと「強盗する者」が「人気の少ない時間帯」に「金銭を奪う目的」で「銀行」に「赴く」、といった感じになる。これだと犯人は検挙されるリスクは高い。一方デジタルだと、「強盗する者」が「金銭を奪う目的」で「銀行」に「不正アクセスする」、といった感じである。一見同じように見えるが、大きな違いは被害側に犯人像が見えないことだ。デジタルだと直接「赴く」必要がないため、姿を見られないという点が犯人には大きなメリットだといえる。現に北朝鮮ハッカーが外国の金融機関に不正アクセスし、外貨を盗んでいるのが一例といえよう(なお、北朝鮮は認めていない)。

「だからパスワードがあるじゃないか!」って声が聞こえてきそうだ。もちろんパスワードはセキュリティの一丁目一番地ともいえる。しかしどうだろうか。みなさん、いちいちパスワード覚えていられますか?「覚えられないから同じにしてる!」なんて人もいるのではないでしょうか。これがデジタルの落とし穴。人の記憶は完璧ではありません。パスワード・暗証番号を忘れたら、当の本人もアクセスができなくなる。果たしてこれで便利なものって言ってもいいのだろうか、私は疑問が残る。経験上、ハッキングでIDを乗っ取られた友人もたくさんいるし、パスワードを忘れて新規登録した友人も数多くいる。そういう場面に遭遇してきて、今の私の考えがあり行動してきている。幸い私はデジタルによる被害に遭遇はしていない。

また最大の問題点として、「デジタル」は電気がなければ何もできなくなるということ。現代人にとって、電気のない暮らしなんて考えられないと思われるが、天災事変等で電気のない生活がありうる。現に沖縄県台風6号の影響で停電している箇所が存在している。このような時に「デジタル」は無能だ。一方で「アナログ」なら、最悪はペンと紙さえあればなんとかできる。もちろん手間がかかるなどの欠点は多々あるが、電気がなくとも利用できるのが大きな利点ともいえよう。電気のない時代に書かれた古文書などは筆と紙でできていて、今日でも読むことができている。

現在、政府が推し進めているデジタル化には様々な課題が山積しており、特に国民の多くが懸念しているのがセキュリティの面であると私は思う。私からしたら「デジタルをただの便利なツールとしか思ってないジジィ・ババァのやることだ」としか思えない。

「デジタル」と「アナログ」は互いに一長一短があり、それぞれを補えるように活用することが理想ではある。しかし現実は「便利な方へ」「楽な方へ」という考えばかりが先走っている。まるで「デジタルという魔物」に取りつかれたかのように…。

デジタルは便利なツールではあるが、同時に様々な危険をはらんでいることを忘れてはいけない。上手に付き合っていく、それが今を生きる我々に必要な考え方ではないだろうか。