C-Macksの自論展開

日々の物事に対し、情報を収集し自論を述べていくものです。賛同意見・反対意見は歓迎しますが、暴言・脅迫・罵詈雑言はお断りです。

あなたが労働に求めるものは何ですか?

近年の人手不足は世間を騒がせています。特に3K(危険・きつい・汚い)と呼ばれる事業では顕著に見られていますが、そうではない事業でも増えてきています。近年では3Kではなく、「帰れない」を加えた4Kとも呼ばれるようになりました。理由は様々あると言われていますが、その中でも労働観のギャップが大きいものと考えています。そこで今回は、私が思う労働観を述べていこうと思います。

興味のない方は黙ってブラウザを閉じてください。

まずこれを読まれている方に問いたいことがある。「あなたは何のために働いていますか?」この問いにすぐ答えが出せた人は、これからの文章は戯言だと思って読んでいただきたい。一方答えが出なかった人、時間がかかった人は参考意見だと思っていただきたい。

働くということには、必ず目的があるはずである。太古の昔より人類は、生きるために狩りをしたり、植物を育てたりして生き続け、今日まで命を繋いできたのだ。これが「働く」ことのはじめであろう。漢字を見ても、「人」が「動く」と書いて「働く」となっている。すなわち、生きるために働いているのだ。現代においては、1日を有意義に生きるために働いていると言い換えることができるであろう。

しかし日本人は、今日までの途中でこの意義を変えてしまったのだ。それが高度経済成長期である。確かに日本がGDP世界第2位(現在は4位)まで上り詰めたのは、この高度経済成長期があったおかげである。一方で、国家の成長にその身を捧げることが最高の美徳であり、その1人になることがステータスであった時期でもある。ロボットのように働き、その身が朽ちることも厭わない、すなわち、働くために生きているのだ。ゴルフという娯楽や飲み会という息抜きの場等においても、取引先や役人などの接待に利用する、つまり仕事にしてしまうのもこのためである。

高度経済成長期を過ごしてきた者たちが、現代社会の上層部に存在している。この世代は、自分のことは二の次にして、社会のため、誰かのために生きることを美徳としてきた。それ故、家族のために、社会のために、そして会社のために多くの時間を働くことに費やすことを是としてきた。一方で、現代の若者は他の誰でもない、自分のために生きることを選択している。理由は様々あるだろうが、私が思うには、インターネットが既に普及し、世界の様々な事柄に触れていくうちに、自分のためにアクションを起こさないといけないということを直感的に思ったものと考えられる。それ故、自分のために費やす時間、良く言えば自己研鑽の時間を残業や会社行事、上司との飲み会等には使いたくないという心理が働くのだろう。上の層の人らからは「付き合いが悪いなぁ」「自分勝手だなぁ」と見えるだろうが、若者からは「自分の時間に土足で入ってこないで」と見えるだろう。これが世代による労働観のギャップと私は考える。

最初の問いで、答えが「自分」か「それ以外か」であなたの労働観がある程度見えてくるものと私は思う。「家族」と答えたあなたは、「家族の中でも特に誰を思い浮かべたか」であなたの労働観は大きく変わると思う。「お金」と答えたあなたは、「お金の行先」によってあなたの労働観が大きく変わるだろう。この問いには世間でいう正しい答えというものは存在しない。ただこれだけは言える。「働くために生きている」ということは、現代においては破滅に向かっている、ということだ。